合理的配慮

今年は修学支援の申請がまだ続いています。我が大学が精神的疾患があっても修学しやすいという評判でも立ったのでしょうか、それとも精神疾患を持った学生が増えたのでしょうか。急に増えることはないでしょうから、前者が理由なのでしょうか。それ自体はとても良いことだと思いますが、ただ対応は現場に丸投げになっているように感じてしまいます。私が孤立しているからそう感じるだけなのかも知れません。大学自体では取り組みが強化されているのかも知れません。ただ、多様な障害に対して対応するというのはかなり負担ではあります。そういう意味では、個別ではなく全体に対応した方が良いのかも知れません。字が細かく詰まっていると見えにくいという障害の学生への対応として、資料を事前に配布することにしました。データとして全部を渡しておこうと思っていますが、それなら全学生に向けてネットで資料を公開した方が良いのかなとも思うようになりました。他にも困っている学生がいる可能性もあります。ただ、そうすると授業に出てくなくなる学生が当然出て来るでしょう。それらの学生を排除するために公開しないというのも変な気がします。学生が受講したいという授業をしていたら、たとえ資料を配布していても出て来るでしょう。ただ、現実としてはそういう授業ができていないです。高校の授業の延長になっています。知識を授けるという昔ながらの授業になっています。AIの時代になっては、古臭いものになってしまったように感じています。もっと授業内容を深化させていかねばなりません。